第2日 12月13日(日)
9:30 ~12:00 研究発表Ⅰ(茨城県立歴史館講堂)
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①9:30~10:00 | 表札盗みの迷信 | 角南聡一郎(奈良県) |
②10:00~10:30 | 因州オウレン採取加工用具について | 樫村 賢二(鳥取県) |
③10:30~11:00 | 木曽川の大船 | 久保 禎子(岐阜県) |
④11:00~11:30 | 駕籠のつくりと材料についての調査報告 | 落合 里麻(秋田県) |
⑤11:30~12:00 | 「民具」の初出について | 小島 摩文(鹿児島県) |
12:00~14:30 昼食 及び 茨城県立歴史館民俗展示及び旧水海道小学校見学
14:30~16:30 研究発表Ⅱ(茨城県立歴史館講堂)
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⑥14:30~15:00 | 産育祈願の吊るし飾り
―福島県会津地方のカサボコとヒシ―
| 内山 大介(福島県) |
⑦15:00~15:30 | コンニャク栽培の民俗 | 山崎 祐子(東京都) |
⑧15:30~16:00 | 大猿退治の物語と流鏑馬祭の的木
―コウカノキの利用をめぐって―
| 萩谷 良太(茨城県) |
8 公開シンポジウム「あれからもう少しで5年―災害と民具再考―」を実施して
翌年3月に東日本大震災から丸5年になるこの時期,5年経過したからこそ話題にできることもあるはず,という意図でこのテーマが選択された。また茨城県自体も被災県であり,その中で民具というものについてどのように取り組まれ,そこからの展望がどのように開けるのか,ということも併せて企図されていた。
シンポジウムはまずコーディネーターの榎陽介がシンポジウムの趣旨を説明した。
次いで石野律子会員により,長野県北部地震で大きな被害をうけた栄村と,津波で流された岩手県陸前高田市博物館の二つの事例の報告があった。栄村では前史として民具調査などの活動が昭和44年から始まっていたということが災害において民具を資料として認識させるという結果となって表れていた。また陸前高田市博物館では被災した資料のなかで民具も大切な資料として認められている。
岩崎真幸会員は津波や原発事故による放射性物質の飛散により居住できなくなるという状況の福島県相双地域の問題を説明し,民具が生活という文脈を失ったとき,「住民にとっては懐かしい過去の記念物でしかなくなる」ことを避け,積極的な役割を持たせる必要性について言及した。
今回の大会を事務局長として支えてくれた大津忠男茨城県立歴史館学芸部長は,津波被害の際には学校の現場にいて,目の前の被害の中,被災したごみとして廃棄されるだけの民具について述べた。文書史料についてはシステマティックな救出と処理の方法が確立されているのに,民具についてはないという現状についても発表した。
3氏の発表をうけ,会場からの質問も交えながらいくつかの点について論議が交わされた。ひとつの問題は,民具というものが所与のものとして,明示的に資料とみなされるのではなく,収集し整理する過程において資料へと変化するということが指摘された。
大津忠男氏より学会としての大規模災害時の対応についてのわかりやすい方法などについてのマニュアルが望ましいという希望も出た。
もとより,今回の論議により何かが解決し前進するというものではないが,少なくともある一定の時間の後に再び語る,繰り返し語り合うということの意味があるだろう。
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(榎 陽介)
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9 大会を実施して
今回の茨城大会は,会場館の都合により例年とは違い12月中旬となった。年末にもかかわらず,会員・一般合わせて112名の参加者があり,懇親会にも66名の参加をいただいた。第1日目に開催した公開シンポジウムは,東日本大震災から「もう少しで5年」を迎えようとする時期に,経験を共有し,討論できたことに今後への大きな意義があったと考えたい。また,第2日目に実施した研究発表会では,地元の一般の参加者から「民具への興味が湧いた」との意見も聞くことができた。本大会が,地域の歴史や文化を物語る民具の意義を学ぶ場ともなったことは,会場となった茨城県にとって非常にありがたいことであった。
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(大会事務局)
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